阿修羅像拝観
仏像事典阿修羅像へ
4月25日(土)に東京国立博物館平成館に特別展
興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」を見に行ってきました。阿修羅像は
仏像ブームなのか若い人に非常に人気がありますが、阿修羅像という
仏像の何が人を魅了するのか疑問を持って生徒10名連れての参観でした。
土曜日で混み合うのではと心配しましたが、まだ展覧会が始まって早い時期でしたので、ゆっくり見られました。生徒の何名かは、展覧会があまりに良かったので、今度は家族も連れて見ようと6月に入ろうとする頃に行きましたら、長い行列が出来ていて良く見られなかったようです。
阿修羅像著名人の感想
さて、阿修羅に関して私の感想を述べる前に著名人の感想を上げてみたい。
川端康成は「舞姫」の中で
「姉さんも、よく動く上まぶたに、ときどきまゆをひそめて、これと似たような、かなしい目つきをしますよ。」と阿修羅の眉を寄せた表情に日本的哀愁を感じたようです。乾漆造りという技法が叙情的な作品にしやすいとも述べています。
堀辰雄は「大和路・信濃路」の中で
「なんというういういしい、しかも切ない眼差しだろう。こういう眼差しでをして、何を見つめよとわれわれに示しているのだろう。ーーーその一心な眼差しに自分を集中させていると、自分のうちにおのずから故しれぬ郷愁のようなものが生まれてくる。」と阿修羅像を前にした感想を述べています。 両者とも美少年のような若々しく何かを見つめる哀愁のある目に魅了されたようです。(国宝 阿修羅展 東京国立博物館 より引用)
阿修羅像の姿
阿修羅はもとはインド古来の異教の神で,怒りや争い,戦いなどが好きな鬼神でした。六道のうち阿修羅道の主で、私たちが、人に気にくわないことがあって怒った心境、また喧嘩や争いごとをしている世界も修羅道といいます。しかし、興福寺の阿修羅像が闘争する意志は失せたように六臂とも異常に細く、清純な少年のお顔で澄み切った目をしているのは、釈迦の説法に心の奥底から聞き入っているお姿なのです。「法華経序品」に阿修羅王が部下のもの達と説法を聴聞するところがあります。阿修羅ばかりか
八大竜王や迦楼羅王(かるらおう)など元々仏教の守護神ではなかった神々も聴聞しています。
阿修羅像の感想
私は、国宝 阿修羅展で初めて対峙した直感は、哀愁のある目で、過去の悪業を懺悔しながら、
釈迦の説法に心の奥底から共感し聞き入っている、このお姿は、現にこの仏像展に来て、阿修羅像に魅了されている人々の姿ではないかと思いました。
釈迦がいて阿修羅が釈迦の説法を聞いていた時代も、阿修羅像が出来た天平時代の昔も、また人々の心がすさび混迷する現代も、いつの世も釈迦の教えで救われたいという人の願いは普遍なものなんですね。