兜跋(とばつ)毘沙門天像
楠材 仏師瑞雲作
商品番号bisyamon-tobatu
当作品 | 唐の玄宗(げんそう)皇帝時代、中国西域の安西城(あんせいじょう)が敵に包囲された時、兜跋毘沙門様が城の楼門に出現し敵を退散させたという伝説がある。中国の都市は街全体が高い城壁で囲まれていて城内はそのまま街になっているが、西域支配の最前線安西城(あんせいじょう)が敵に囲まれ落城寸前になったとき、土地の神が地中から毘沙門様を湧出せしめ、その毘沙門様の威力におびえ敵が退散したと伝わる。その後、中国では兜跋毘沙門天の仏像を都城の楼門上に守護神として祀る風習が出来たという。 この像は弘法大師空海や伝教大師最澄等により伝えられ我が国でも造られるようになった。我が国に最初にもたらされたのは、今も京都東寺に残る西域風の兜跋像(国宝)で平安京の羅生門上に祀られていた。兜跋(とばつ)は中国語でチベットを意味する吐蕃(トバン)から来ているとされ、当時チベットは西域の影響を受け、西域風の兜跋毘沙門様が日本に伝わった所以である。お姿は地天女(ちてんにょ)の両手に支えられて立ち、左右に毘藍婆(びらんば)、尼藍婆(にらんば)の二鬼を従える姿である。 我が国では、この仏像を彫刻した例は多く大陸の脅威に対する国土の守護神として西日本に多く、また蝦夷(えみし)に対する北方鎮護の神として東北地方に多く残されている。 岩手成島毘沙門堂には総丈4.73mにも及ぶ巨大な欅材の毘沙門像(平安時代 重文)がある。延暦二十年(801)、征夷大将軍 坂上田村麻呂は激戦の末に蝦夷を平定した。将軍は毘沙門様のご加護の賜と感じ、百八体の毘沙門像を祀る窟毘沙門堂を先勝の地である達谷窟(たがや)に造り国家鎮護の祈願所とした。 征夷大将軍として初めて蝦夷征伐を成し遂げた「将軍中の将軍」 坂上田村麻呂は北天(北方の守護神 毘沙門天)の化身とうたわれ神格化されていった。 福岡毘沙門堂蔵 2008 |
仏像制作販売価格
(銘刻、楠材地仕上げ)
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商品番号 | 身上(頭頂) | 総丈(光背まで) | 彫刻度 | 通常価格 | 特別販売価格 |
bisyamon-tobatu | 94cm | 150cm | ★★★ | ¥見積もり | 売却済み |
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仏像の話この瑞雲作兜跋毘沙門天は、かつて蝦夷の本拠地であった北上川東岸にある藤里毘沙門堂(江刺市 11世紀 愛宕神社蔵 重文)を手本とした仏像作品である。像高は176cmで5尺8寸と伝わる坂上田村麻呂の身長に合致している。お顔以外は丸鑿の跡を残した鉈彫り仕上げであるが、お顔は大変にりりしい風貌で、田村麻呂の子孫に代々伝わった肖像掛け軸(大阪 長寶寺 長さ77.2cm 巾42.4cm)のお顔を参考に彫刻しました。また、京都鞍馬寺(くらまでら)の毘沙門天像(平安時代 国宝 木造)、左手をかざし京を見守る護国~の姿も田村麻呂の面影を感じ参考としています。 |
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